4 : 21 残酷なWindowsのテーゼ

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イヤなものが降る天気予報

2002年 2月 2日
記事ID d20202

パラグラフが時間にそって上へ上へと「戻って」ゆくウェブログ形式のストリームは、与えられたフレーズを下の句として上の句を詠む風雅にも似た意外性をはらんだ倒置法の美学。しかし最も重要なのはたんたんと存在する透明なストリームであって、ストリーマ(そのストリームの織り手)には意味がない。ホンミョウ、ジュウショ、デンワバンゴーといった揮発するつかのまのコジンジョーホーは、情報さんのレイヤにおいては無意味綴りにすぎない。個人「情報」とは言うけれど、何ら情報価値がない。<cite>が<q>を補完できるのは人間観察日記においてだ。もしウェブログが情報観察日記であるなら筆者やサイト名を<cite>せず単に情報自体の見出し(記事名)でリンクすれば充分なのだが、たいていのウェブログは同時に人間ベースで動いていて、人間さんは人間さんに興味を持っていることが多い(そうでない人間さんも少なくないようだが)。パースペクティブという点では、人が主体的に情報を支配して interesting, read it. と勧めるのか、それとも、その情報自身が read me. と言って人を支配するのか? だ。で。じつはパースペクティブ自身が人間さんにとっての観点にすぎず、情報自身にとっては、どちらの見方でも同じことなのだ。なぜなら、そもそも情報などないから。「存在するすべての情報が現実で、まぼろしなのだ」

どちらのライセンスも「フリーソフトウェア」ライセンスだが、X11ライセンスはある重要な点でGPLと異なる。X11では、ソフトウェアにコードを加えた開発者が改良点を一般公開する必要がないのだ。「これにより開発者は、どのように(モノのソースコードを)変更したいか、選択できるようになる」 - 情報と情報取扱者の複雑微妙な関係。情報さん自身からみれば、んなのどっちだっていいよ勝手にしれだけど、人間さんにとっては過渡期の重大問題。

あたかも「Meet the boy in the park 公園で少年と出会う。Park the meat in the boy 少年のなかに肉を駐める」という、言葉遊びのように――

かぐわしい花であるというよりは、ミツバチなのだ。ハチミツには価値があるが、一匹一匹のミツバチの名前に意味は無い。

2002.02.02 高速接続は人間を近くするように思えるが、じつは人間と人間の関係を稀薄にし透きとおらせる。FTP交換やWinMXの時代は人間と人間がP2PでIM送ってトレードしていた。しかしグヌーテラの時代には勝手に落とせば?べつに見てないし、ってな感じで、そもそも相手にIMを送ったりしない(たいていのグヌーテラ・サーバントは、そういう人間関係機能を持たない)。なぜ勝手に落とせば?となるかというと帯域が広くなって気にならなくなったからだ(自分はブロードバンドじゃないが感じかたは分かる)。

2002.02.02 おもしろい情報は、おのずとそれ自身のちからで広まり、「原著作者」と称する人物のコントロールを離れてひとりあるきする。(逆の観点からいうと、ウェブログは情報へのポインタであることにのみ価値があるのであって、そのウェブログを「だれ」が作っているかには興味がない――少なくとも自分のドメインを登録せずそこらのWHOISできない匿名ウェブページで「ウェブの匿名性の悪」を語る愚者は自己矛盾している――そして情報へのポインタは本質的に情報の実体と区別がつかない。つまり存在する情報が永続する現実なのであって情報取扱者は二次的で、しかも、HD同様、壊れやすい媒介者にすぎない)――これが情報の力学だが、「おもしろい」という観点は媒体である人間側のフィルターなので、媒体である人間が低きにつく粗悪なフィルターだとイヤな「おもしろさ」が蔓延しちまう。このことが「自由に内在する無秩序」とつながり、そのような無秩序は、ついに自由の根本にさえやいばを向けるだろう。一方、そのような無秩序が真の自由をおびやかし危険を生むという口実で(じつは自分につごうの悪い情報について)統制をかけようとするインフラをにぎる側とのあいだには、べつの緊張がある。インフラ自体がフリーになって一極的な統制が困難になればなるほど、あがきかたは露骨で不自然になってゆくだろう。

それは空を飛ぶ鳥を非難するようなものだ。

2002.02.02 Q.なぜマイナスかけるマイナスはプラスなのですか?
A.「悪い」はマイナスの価値で「良い」はプラスの価値だろう。「真」はプラスの価値で「偽」はマイナス価値だろう。――で、「偽善的」は本当は悪いというマイナスな意味で、「偽悪的」は悪ぶってるけどホントは根は優しいやつというプラスの意味でしょ?。
参考: 「偽春菜」という名が悪口でも卑下でもないのは、「春菜」がマイナスだったからだ。

「泣くのはおよし、シンデレラ」電波の精は、言いました。

2002.02.02 えーと何を書こうとしたんだっけ。あそうだ、文章語の権威づけられた感じへのアンティテーゼじゃなければいけないという強迫観念から、ちょっと悪びれたスランギッシュな文体で書かないとダメだと思いこんでるやつ。アンティテーゼ、オルタナティブ、偽、2ndオピニオン、そうしたものが価値に思えるのは、正統的、オーソドックス、オーソグラフィカルなものが過剰に唯一絶対とみなされていた昔の文化への反動のためだ。つまり、それをまだ引きずってるってことだ。卒業しちゃえば反抗することにこだわらない。って。

つまり君が優等生クン激むかつくって思ってるのは、じつは内心コンプレックスぽろぽろってことさ。

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Linux: 自由な束縛のテーゼ

2002年 2月 1日
記事ID d20201

補足: 偽春菜(にせはるな)ネタが出たついで――。以下のメモにも「偽Windows」「偽Unix」という表現がありますが、「偽ブランド商品」などというような悪い意味でなく、「偽春菜」の「偽」です。この走り書きが掲載されている「妖精現実」は、偽春菜問題のときのボイコットバナー配布元でもあり、最初期からの「偽」派であって、Linuxコミュニティの急進派が Real Networks をボイコットする以上の意気込みでプラエセンスをボイコットしようと呼びかけまわっていたのです。ですので、今でも「偽なになに」というのは、たいていそういうニュアンス。

ボイコットバナー だれがダメなものにカネなど払うか! リンクバナー フリーはカネじゃ買えへんねん。

ですが、むしろ逆の意味で誤解しないでください。今の GUI 版 Linux を支持してるという意味じゃないのです。ダメなものとは安易に妥協できないのは、いずこも同じ。今となっては、どうでもいいことですが、このサイト(妖精現実)は、春菜に対して激烈に敵対的だったと同時に、そういうつもりは無かったのだけれど当時の「偽」コミュニティのなかでも反体制と見られてたようです――偽春菜の姿には萌えない、むしろシェルなんか要らないとホンネを書いたせいですが。本当は、偽春菜支持にまわったのは、当時たまたまミルクチャンのシェルが存在したからで、あのデフォシェルだけだったら萌えなかった(言ってることがビミョーに矛盾してる)。当時はマリーベルもなかったし……
FAQ.マリーベル(5歳?)とミルクチャン(3歳?)というのは、年齢制限が厳しすぎませんか?
こたえ.制限なんてありません。場合によっては中学生でもOK(例: わぴこ)←なにもいわないで

うにゅうバナー

2002.02.01 情報取扱者が情報に対して排他的なケンリを持つ、という古代人たちの幻想は、「情報を批判するかわりに情報取扱者を批判する」という当時の人間たちの混乱とパラレルだった――これはコンピュータが誤作動したときにソフトの設計をなじるのでなく怒ってコンピュータの物理的筐体きょうたいを叩くような愚かさに、通じた。

最近のWindows

往々Linux信者がよく知らずに小馬鹿にしているWindowsだが「製品品質」はダテじゃないという例(Windowsのユーザ自身がほとんど知らないか、知っていても使ってない機能と思われ)。

IEの「検索」機能は世界の多言語をサポートしている。

検索は世界の文字種を考慮。e と é を区別するかとかアラビア文字の正書法がらみとか
Linux よりマニアックなWindows 2000の一面

メモ帳でさまざまなユニコード制御文字を編集できる。

おまけのメモ帳ですらくどすぎるほどユニコードをサポート
日本語IME、韓国語IME等々、ほとんど何でも起動できる

多言語対応に関してはEmacsなどよりずっと良いけれど(世界各国でその国の国語バージョンのOSを高額で売りさばいてるのだから当然かも)、それでも実際に多言語を使う立場からは、まだまだ不満が残る Windows 。Linux の多言語対応 Li18nux は追う立場だが、どちらが勝つか?でなく、どちらのプラットフォームでも完全に多言語を使えるようになってほしい、というのがユーザの当たり前の願望だ。つまらん競争意識をむきだしにしてるのは内輪の関係者だけ。ユーザはマニアックな開発者よりもクールでシビアだ。

作る人と食べる人

Linux is the product of a community of developers. Through the definition and testing of operating system interfaces, the LSB creates a stable platform that benefits both developers and users. - Linus Torvalds

2002.02.01 「自由」な「校則」の束縛――The Free Standards Group Releases Two Linux Standards Platforms: free というのは自由ということで、standards とは一定の規則を課すことだ。表面的には矛盾しているが、free を保つために standard がどうしても必要だ、というのが経験にもとづく皮肉な事実のようだ。「このソースを改変するときは必ずこの業界標準に従ってください、でないとそのパッチによるフィードバックは無視します」といったスタンスがオープンソースの教義と不協和なのも確かだが。

red hat に代表される Linux のGUIは、Windows XP と同じくらい「おしゃれ目的に大量のリソースを使って」いる。タイトルバーにグラデーションをかけたり、本質的には無意味な視覚効果に資源を使う。先日64MBでは足らないとか書いたが、X Windows(偽Windows)をさくさく動かすには、本家と同じように最低256MB、できれば512MB以上のメモリが必要だろう。本家と同じように「このプログラムは応答してません」と言われて、ctrl_alt_del で再起動したり。なぜこんな偽Windowsを使うのか? 本来の精神より、単に多様性を保つためというのが本質なのかもしれない。今のGUIは Windows 2000 ほど安定していないということは、ユーザ側から見れば「偽を使う意味が少ない」けれど、開発側から見れば「だから偽を発展させてゆく意味(余地)がたくさん残されている」。Linux の意味というか価値観は、エンドユーザにとってと開発コミュニティにおいてでは非常に異なる。CUIで動かすなら、もちろん Windows なんかと比較にならないレベルで、超然と安定している(それはOSの手柄じゃないかもしれない)。Linux は、もし仮にGUIが標準になるなら、インターフェイスにおいて、偽Unixかつ偽Windowsだ。偽Windowsという観点は、きっと良い意味なのだが、偽Unixという点はシェルの神秘になじんでいる者には、ひどく冗漫にも思える。

Windowsをふつうに使っているユーザなら、初心者だろうが上級者だろうが、いま突然、RedHatの前に座らせてマウスを握らせても、まったく問題なく同じように操作できるだろう。

そういう意味では Linux は Windows と「対等」だし、機能がほぼ対等であれば「無料」であるほうがたぶん良い(「無料」以外の意味で Linux が「フリー」であるかは、かなり相対的で主観的な問題だ)。伝統的なUnixからみると GUI の Linux が Unix互換プラットフォームだ、というのは「Windows が MS-DOSと互換だった」というのと同様、むしろ名目上の話にすぎない。Windows 2000 の cmd.exe のように、Linux は Unixのコマンドラインをエミュしている……そして、Linux が free な pc unix の代表のように言われている理由は windows がパソコンの代名詞のように思われているの同様、機能が良いからでなく、ユーザが多いからだ。Linux が「まだ」だれでも安心して使えるしろものでないことは使ってみればすぐ分かるし、むしろ不安定だからこそ開拓者魂をそそられ、魅力的なのだろう。創造的な若い開発者としては、たしかに安心して遊べるお子様遊園地より野生のけものがうごめく未開の荒野に惹かれる面があるだろう。

だから電話帳のような Linux API Bible ができ、最終的には ActiveX のような「核心にさわれるJavaScript」程度のものになるなら……。そのほうが開発環境としてもユーザからみれても、もちろん安心できて安定するのだ。が、ますます当初の Linux の魅力が失われるようなアンビバレントなものを感じるかたも少なくないと思われる。

例えばFSFがW3Cの顔をして「勧告」を出すのだ。

よくIEやOutlookの脆弱性をひきあいにだして「それにひきかえLinuxは」と宣伝することがあるけれど(そして、ある意味、まったくその通りなのだろうけど)安定したフリーの処理系としてのLinuxは、あくまでサーバで決まった機械的作業をする、つまりデーモンを走らせるという単純作業に徹した場合の話で、パーソナルユースで日々複雑で多様なことに使うようになれば、Linuxであれ何であれソーシャルハックを受けやすくなるに決まっている。現在 Linux が安全だとしたら、それは「Linuxは発展途上で未熟だから」言い換えれば「添付ファイルを安易にクリックするようなのほほんとしたユーザがまだいないから」みたいな理由も大きいのかもしれない。Mozillaのクッキー管理なんかにも途方もない穴が見つかったりするがユーザが少なすぎてニュースにならないし。

けれど、将来的には、もちろん今のGUIがCUIほどの超然とした安定レベルに達するべきだ。プラットフォームは Windows でも Linux でも Mac でも良い。「人間工学的」なものを追求してゆけば、だいたい同じようなところに行き着くはずだ。Linux の目的は決して Windows つぶしでなく、まだ存在しないそうした理想のために邁進することなのだから。「MS=悪」のような教義を信じる信仰もフリーかもしれないが、はつらつと競ってほしい。

つぶすなら、ソフトの質でつぶせ、ということだ。今の Linux が Windows よりすぐれていると本気で信じているような人間は、まともな開発者でありえない。すぐれたものを秘め、すぐれた精神を持っているかもしれないが、発展途上のOSなのだ。そして Linux の拮抗の直接、間接の影響で Windows 側も洗練されてくるなら、なによりだし、実際そうなってきていると思う。

良いものを良いと思うなら、Windows が安定することも喜ぶはずだ。「ウィルス性のソフト」よばわりされた、だから許せない、なんてレベルでケンカするなら、同じ穴のむじなだからだ。

だから真の Evangelist としては Windows 98 のユーザには、Windows 2000 をおすすめするべきだろう。それが現時点での真の福音(まぁ管理統制の厳しいLinuxコミュニティでは、そんなことを大ぴっらに発言する自由は無さそうだが)。Windows 2000 のほうが、red hat よりずっと安定し、すぐれている。でも、先日も書いたように、Linux は無料だし、ISDNですら2日ほど頑張ればオンラインでダウンロードできちゃうのだから、余っているマシンがあるなら、試しに使ってみると良いと思う。余っている古いマシンに入れた Linux の重さをみて、P4 2GHz 1024MBな最新ハード上の Windows と比較した印象を持つのも不当だが、きびしい制約下でこそ物性の本質があらわれるというのも一面の真実だ。Windows 95 は 32MB / HD1Gなマシンでも、充分に実用になる。Linux はコマンドラインで使うなら良いのだが、もともと Unix のコマンドラインは一般向けじゃないし(というか不自然)、インターフェイス的にまだまだ立ち後れているか、あるいは優れているが代償が大きすぎる。

けれど、Linux が Windows 95→98→SE→ME→2K くらい脱皮を繰り返したときには、恐らく Windows 2000 より優れたものになっているだろう。今の red hat は Windows 3.1 くらいの位置なのだから Windows 2000 と同列に比較するのは(系譜的にも、目的の点でも、意義の点でも)不当なのだ。そして、Windows 2000 は安定したすぐれたOSではあるけれど、内部がブラックボックスであることもさることながら、なにより値段が高すぎる――ブータブルCDが一枚、一万円以上という、そのコストパフォーマンスを考えると、今でも Linux のほうが絶対にすぐれている。もしカネに糸目をつけないなら Windows のほうが良いだろうが、無料のものにしては Linux は、一万円以上のものとそう変わらないという意味で素晴らしい。しかも我々は、簡単にコピーできる「情報それ自体」にカネを払うという馬鹿げた古代文化(言い換えればコピーする権利を不当に独占する者のボロ儲け)をますます認めなくなってきているのだから。

――カネに糸目をつけないなら高機能なマシンでフォトショップを使えばいい。でも、軽く使えるフリーウェア、Padie とか BTJ32 とか Dibas32 とか JTrim とか IrfanView とかのほうが好ましい面が多い。一太郎より vi や TeraPad や y_mint や xyzzy が好ましい局面は、いくらでもある。――

にもかかわらず、そのようなフリーが限界と制約と混乱の原因にもなってしまう。フリーに関する理想と現実。やってみて初めて分かった経験にもとづく知識といったところ。こっちのおりあいが、今後いちばん興味深い点かもしれない。フリーの問題の本質は、決して独占者がぼろ儲けできなくなることじゃない。そのような意味での「著作権問題」は古代宗教史の研究者にでもまかせておけばいい。問題の本質は旧独占者(著作権者)とつぶしあうことでもそれがらみの摩擦でもなく、フリーそれ自体に内在する本質的無秩序だと看破しなければならない。

2002.02.01 逆非対称……

総送信255MB、送受信181MB

「恐るべき子どもたち」ふうに言えば――「ステータス。きれいな響きだ、グヌーテラと韻を踏んでいる」

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[Soft] すっきり!! デフラグ Ver.4α/ほか

2002年 1月31日
記事ID d20131

Windows 2000 "SP2+"

2002.01.31 Windows 2000 SP2→SP3 のつなぎの「SP2 SRP1」なるものがリリースされました。Japanese版、Japanese NEC版もすでに公開されています。SP2必須。

画像「セットアップウィザードの開始」というダイアログ。

現時点では、まだ日本語サイトには説明がありませんが、日本語版の修正プログラムは日本語版ウィザード形式になっています。以下をごらんください。Windows 2000 Security Rollup Package 1 Now AvailableWindows 2000 Security Rollup Package 1 (SRP1), January 2002 (Q311401)Windows 2000 Security Rollup Package, January, 2002

全部ダウンロードすると20MB近くになりますが、Express Installation を利用すればその環境で必要な修正ファイルだけがダウンロード、インストールされます。この場合のダウンロード量は手元では数MBでした。参考画像

2002.02.01 追記: マイクロソフトのサイトに日本語での案内ページができました。余談ですが、SP3もすでにリーク版が存在しています。ただし開発途上の不安定なベータ版で、OSを直接上書きしますから、安易な気持ちで遊ばないでください。
http://gwbn.onlinedown.net/down/W2KSP3_3.051_en.exe

「すっきり!!」シリーズ5ソフト統合へ

2002.01.31 「すっきり!!」シリーズがひとつに洗練、統合されました。現在、試験的にアルファ公開されています。

「すっきり!! デフラグ」は、Windowsの起動時、ほかの常駐ソフトやエクスプローラさえ起動するもっと前のシステムが「すいている」ときにデフラグを「すっきり」予約実行するツール。デフラグというのは、簡単にいえば、資料が散乱しているぐちゃぐちゃの部屋を整理して、資料をきちんとファイルにまとめて棚に並べるような作業のこと。デフラグをおこたると、あるファイルを読みたいというとき、ファイルの1ページめは床に落ちていて、2ページめはベッドの下にあって、3ページめは本棚の裏といったぐあいなので、ファイルを探し出すのに時間がかかり当然、能率が低下します。これは Windows を使っていると必ず起きてくることです。なぜかというと、OSを使っていれば必ずあるファイルを削除したり、ファイルの一部を削除したりすることがあるわけで、本棚で言えば、捨てた本のところが「虫食い状態」のすきまになっているわけです。また何回にも分けてファイルを少しずつ書き足すと、論理的に連続するファイルがHD等で物理的には切れ切れの位置に書き込まれる結果にもなります。本棚を効率的に利用できるように整理整頓して端から分類ごとにきちっと本を並べ直す作業がデフラグのイメージということになります。

最近の40GB、80GBといった大容量HD(ひっちらかった巨大な部屋)にデフラグをかけると大変、時間がかかります。とくにファイルシステムが通常のFAT32の場合そうです(NTFSならかなりましのようです)。なにしろ Windows が起動しているときは、常にこの散らかった部屋のなかで、いろんな作業員があれこれ仕事をしてるわけです。そこで、要らない作業員は全員、帰ってもらって、すっきりしたところで大掃除にとりかかる、というのが「すっきり!! デフラグ」の発想。Windowsは通常、起動するとすぐアイコンのクリックでファイルやフォルダを開くことができますが(当たり前)、これはエクスプローラと呼ばれるシェル(ユーザインターフェイス)が待機しているからです。また、常時接続でしたら、定期的にネットとやりとりするソフトもたくさんあるはずです。こうした作業員がてんでに自分の仕事をして、メモリを使ったり解放したり一時ファイルを書いたり消したりあれこれやっていると、「大掃除」(デフラグ)をしているそばから部屋がまたごちゃごちゃになって、らちがあきません。ぞうきんをかけようとしたら、「そこの床は、今わたしが使ってるので、掃除は後にしてください」とか言われて、掃除の能率があがらない。

そんなわけで、「すっきり!! デフラグ」はOSの起動直後、常駐ソフトどころかシェルも完全に立ち上がってないいわば「会社の始業時刻前」のすいている状態のところで大掃除をするわけです。

単に「あればべんり」なツールというより、場合によっては、これなしではデフラグの完了が不可能に近いと思われます。

このツールには少し複雑な履歴があって、一時は Windows 2000 がサポート外になったり、「すっきり!! デフラグ」と「すっきり!! デフラグEx」に分かれたり、さらに原理を応用した「すっきり!! エックス」ほか3ツールが公開されたりしてきました。今回の「すっきり!! デフラグ」ver.4 統合版では、これらすべてのツールの機能がひとつのソフトに統合され、インターフェイスもウィザード形式も使えるようになるなど洗練されるもよう。OSの起動オプションやシェルをいじくるソフトなので、今の開発テスト版の段階では一般には使うべきでありませんが、将来的には「窓の手」のような定番ソフトとなるのでは、ないでしょうか。

最近デフラグやってない、そういえばなんかWindowsの動作が遅くなってるようだ。……そんなあなたは、従来からの安定版(安心して使えます)を試してみては、いかがでしょう。終了後に自動的に電源を切るオプションもあるので、すっきりデフラグをまわしておけば寝てるうちにファイルシステムを整理整頓して電源を切るところまで全部やってもらえます。使わない手は、ありません。ただし、デフラグ中に停電するとしゃれにならないので、台風が来てるときとかは、ひかえましょう……。

ちなみに「散らかること」(断片化)は(不揮発性の)ファイルシステムのみならず、(揮発性の)物理メモリそのものにも発生します。物理メモリの断片化はOSを再起動すれば自動的になおりますが、最近では長時間、立ち上げっぱなしにすることも増え、再起動するのは面倒。メモリの断片化を解消するツールもいろいろありますが、メモリの掃除屋さんをおすすめします。メモリークリーナ系のソフトは自分自身がけっこうメモリを使ってメモリを汚すという本末転倒なものもあるので注意してください。またメモリの最適化は、うまく機能すると劇的な効果がありますが、メモリの使用率が上がった状態でさらにメモリに干渉するということで潜在的に常に多少の危険があります。心配ならたまにOS自身を再起動すればいちばん安全確実でしょう――とくに Windows 95/98系は長時間連続して動くようにはできてない非力なOSのようです。

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残酷なWindowsのテーゼ

2002年 1月30日
記事ID d20130

2002.01.30

残酷なゲイツのテーゼ

「システム、完全に沈黙!」
「コントロール・オルト・ディリート、フリーズプラグ強制射出!」
「だ、だめですっ、強制終了信号に応じません!」
「アンビリカル・ケーブルを引っこ抜くしかなさそうね」
「そ、そんな! 2時間かかったレタッチをまだ保存してないのに!」

どれみ、ガンダム、ナデシコ……星の数ほどあるエヴァOPモノのなかでも、ちょっと異色の存在。興味あるかたはCruel Windows Thesisをごらんください。"Linux Evangelist"に捧ぐ――(わら

http://members.tripod.co.jp/m6l/(こちらに「日本語版」も)

http://hk.geocities.com/m5ll/

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