4 : 02 シリアから見た中東問題

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[sy] シリアから見た中東問題

2001年11月 9日
記事ID d11109

「友が蜜なら全部なめるな」――シリアのことわざ

「中東問題」という言い方自体ごまかしっぽく、ご承知のように、中東をめぐる英仏の不誠実外交の問題がこんな結果を生んでるわけです。強引にごり押しすれば、そのときは、ちからで通せても、あとあと泥沼になりやすい、という歴史の教訓として、このへんを少しつっこんで研究してみましょう。

客観性を捨てることのメリット

事の発端のいわゆる「二枚舌外交」については、「1分で分かる!パレスティナ問題」でさくっと触れました、が、1分で読める記事じゃ物足りないかたも多いと思います。といっても中東問題全体を「客観的に」詳述するのは難しいし、非常に長くなるでしょう。客観的ということは「主観、こころ」の要素が排除されるわけで、無味乾燥になりやすく、一部の歴史好き以外には読んで理解するのも大変と思います。むしろ、基本的な視点を固定して、ある当事者の立場にそって語ってみては、どうでしょう? 初めはシリアの視線で歴史を追う、「シリアの目線」シリーズが一段落したら、次には、ヨルダン、エジプト、サウディアラビア、イスラエル……のそれぞれの視点から、同じ時間を観察。ひとつひとつの記事シリーズは、どれもその地域の人の見方にかたよったものになりますが、ぜんぶ通して読むと立体的にちゃんと分かり、また、ほかのサイトほかの資料の情報と総合すれば客観的なビューが成り立ちうると思います。

これは中東問題への新しいアクセスの提案でもあります。時間軸にそってすべてを「外から客観的にみて」一度に述べるのでなく、それぞれの当事者の視点の「なかに入りこんで」語ろうとする。同じ一次元の時間が、歴史観としては複数、平行的に並んでるというモデル。シリアの目線に入りこむと、イスラエルに腹を立てるかもしれません。あるいは書き手はイスラエルが嫌いだと思うかもしれません。しかし、イスラエル視線に移ると、多くのかたはイスラエルにも同情するでしょう。そして、今度は、書き手はイスラエルびいきのかたよった視点だと思うかたも出るでしょう。そこだけ読めば。

と同時に、中東問題を学ぶついでに、それぞれの国や地域のことを、ざっと見てみましょう。歴史、地理、文化など、そのときの気分でいろいろと。――たぶん中東ばかり書いてると飽きて、途中でべつのとこに飛んだり、このシリーズもなかなか完結しないかもしれませんが、べつにこのサイトで完結させる必要もないし。

具体的な方法――「視差」

どうしたらシリアならシリアの視点が得られるか? もちろん想像力や洞察力も大事ですが、ネット上にはDamascus Onlineのようなサイトがたくさんある、それを利用するわけです。例えばアメリカ政府の Country StudiesCIA Factbookと読み比べると、「非常によく見える」感じがする。片目では遠近感がつかめないけれど、両目で見ると物事の陰影が立体的に見える。ちょうどそんな感じ。このような視座が成立するのは、読み手や書き手のちからというより、「ネットのちから」でしょう。なにせ疑問があればシリアの現地のかたにメールを書いて、この点はどう思う?と尋ねることすら原理的には可能なわけで(「モルドバ」で使った手)。

この問題の発端のあたりは「英仏の問題」なので、アメリカの公共的な資料でも、ずばずば批判的な書き方をしてます。また事柄によっては、シリア自身の視点より、アメリカ側資料は、客観的、総合的。シリア自身の視点と見比べて、差分をとると、シリアの人々が何を大きな問題だと感じているか(または大きな問題だと主張したいか)、そしてアメリカならアメリカが何を小さな問題だと感じているか(または小さな問題だと主張したいか)、がよく分かります。カントリースタディーズでは簡略だったり、Encarta あたりでは一行も書いてない事項に、ダマスカス・オンラインの「簡潔にまとめたシリア史」では、一ページ使ってたり。まさに、天文学で「視差」から星の3次元位置が分かるように、「客観的」なシリア史と「シリアからみた」シリア史の差は、どちらが正しい?どちらがかたよっている?といった幼稚な問の立て方とは別の、深い意味を持ってるわけです。

さて、本題に入る前に、シリアについて大まかなイメージをつかんでおきましょう……。

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[sy] シリアの大まかなイメージ

2001年11月 9日
記事ID d11109_2

シリア人ってどんな感じ?

登場予定の人物。

ファイサル一世

Photo from "Faisal I," Microsoft® Encarta® Online Encyclopedia 2001
http://encarta.msn.com © 1997-2000 Microsoft Corporation. All Rights Reserved.

多くのシリア人が敬愛した王子さま。アラビアのロレンスも、ほれてたらしい。ファイサル一世として夢の「シリア独立」を果たしたが、すぐフランスに乗っ取られた。

アサド大統領

Photo from Hafez Assad's Journey in Pictures, assad.org.

こちらは現代。ハフェズ・アサド大統領。強硬かと思えば柔軟、時に驚くような選択をしたカリスマ的指導者。毎日、朝から夜中まで政務をとったという働き者だ。

カッコイイ系ポスター? これも assad.org で発見

再独立したシリアで、中東和平のキーパーソンとして活躍。評価はさまざまだが、外交感覚は一種天才的だった。去年(2000年6月)亡くなったばかりなので、たいていの文献では、まだ生きてる。

シリアってどこにあるか分かる?

簡単にいえば「トルコとエジプトのあいだ」。

歴史的には「シリア」は、このへん一帯を指す

長靴というかハイヒールみたいに突き出してるイタリア、その下にある地中海……のつきあたりをかこむトルコ、シリア、エジプト。

もともとシリア地方は、ぜんぶトルコ(オスマン・トルコ)の領土。トルコが一次大戦で負けたため、イギリスとフランスが獲物としてゲット。英仏で争ってをずたずたに引き裂いた結果が今の「シリア」「レバノン」「ヨルダン」「イラク」「イスラエル/パレスティナ」。

2001年現在の概略

トルコ(アナトリア半島)とエジプトのあいだのシリア地方は、5つの国――イスラエル/パレスティナを2つに数えれば6つの国――に切り刻まれた。朝鮮半島の南北やかつての東西ドイツだけでも大問題なのに、なんだって、ここいらは、こんなに切り裂かれてるのか?というのを今回はシリアという国の目線で追ってみます。もちろんシリアも一方的な被害者とばかりもいえず、いろいろとあります。

問題です。「シリアは灼熱の砂漠」○か×か?

南の国境地帯は一部、砂漠にかかってますが(現在の国境線)、全体的にいうと、大河ユーフラテスなんかが流れてる緑ゆたかな土地。1993年の統計で、国土の78%が牧草地、畑(耕作可能地を含む)または森林。

ユーフラテスの流域は緑が濃い

ユーフラテス川@シリア

Photo from "Syria," Microsoft® Encarta® Online Encyclopedia 2001
http://encarta.msn.com © 1997-2000 Microsoft Corporation. All Rights Reserved.

ヨルダンからシリアへ北上したある旅行記は、「砂漠がちだったヨルダンとここが陸続きだとは思えない、なだらかな牧草地帯が広がっていました」という記述で始まっている。地形的にも砂漠より、むしろ山や高原。――LANDSATの衛星写真で上から見てみよう。

LandSat image from Al Mashriq - Geography

平べったいイラクやサウディアラビアに対して、シリアは山がちなのがよく分かる。最高地点は標高2800メートル。砂漠が広がるイメージとは、ほど遠い。

気候も南フランスなんかと同じ、地中海性気候。冬でも温暖、夏は湿度が低く、さわやか。首都ダマスカスの場合、平均気温も30度いかない。青年海外協力隊でシリアに派遣された体験記にもこうある:

シリア到着から一夜が明けて外に出てみた。うわーーーーー、ここは天国なんか? シリアの気候はとても気持ち良いものだった。私がシリアに着いた時、シリアも夏だったが日本の夏とは違い日差しはきついけど空気が乾燥していて実に気持ち良かった。飛行機の中での不安はどこかに消えて一気にシリアが好きになった。めっちゃ気持ちええやんかー

そんなわけで、「灼熱の砂漠の国」じゃないです。砂漠にかかる地域もあるが、国土の大半は砂じゃなく土。――というわけで正解は×でした。

ほかにも、首都ダマスカスは夜景きらびやかな大都会だったりします。中東全体をまとめて漠然と「辺境の野蛮で無学な地」とか思ってるかたもおられるかもしれませんが、シリアの若者は、ファッションもおしゃれで、フランス語も話せたり(なぜでしょね)。ベイルート(現在はレバノン)は「中東のパリ」だったし。おフランスざんす。たぶん、知らなかったことも多いと思います。シリアの歴史にも、きっと驚くような意外な事実がたくさんありますよ……。ピラミッドみたいな目立つものこそ残ってませんが、この地方も紀元前3000年とかいったものすごい大昔から王国があった。大文明とされてきたメソポタミアとエジプトに匹敵するほどの勢力があったらしい。

ウマイヤ時代のモザイク Damasucus Online

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[sy] 中東問題の始まり: 第一次大戦

2001年11月 9日
記事ID d11109_3

オスマン・トルコ時代

すでに触れたように、シリア地方一帯はトルコ(オスマン帝国)の領土だった。

時代は近代の光さす20世紀に入り、シリアの知識人たちのあいだには独立国家への願望があった。1914年の第一次世界大戦――これは世界地図を大きく書き換えることになるのだが――は、シリアにとって独立の好機だった。戦時中ということもあって、トルコ中央政府は、そうした動きへの取り締まりを強化、1915年5月6日、見せしめとして独立運動家のシリア人21名を絞首刑にして広場にさらした。

この事実は Encarta では無視されているが、Damasucus Online 側では特筆大書されている。実際、今でも5月6日はシリアの国の祭日「殉死者の日」だ。厳罰も公開刑も当たり前である文化圏でこうしてわざわざ強調するところをみると、逆に、政府への反乱テロを起こして分離独立したことに対して、シリア人には罪悪感があって、それを正当化したいのかもしれない。このあと英国人ロレンスが指揮したのは、鉄道爆破に象徴される破壊活動であり、独立戦争であると同時にローカルな略奪でもあった。

第一次世界大戦中の密談あれこれ

ご承知のように、英仏露を中心とする「連合国」が、ドイツ、オーストリアなどの「同盟国」と戦争した。かねてフランス、ロシアなどに領土を奪われまくってるトルコがドイツ側についたことは言うまでもない。勝てばかつての大帝国再興? ドイツは潜水艦、飛行船など近代兵器を使いまくって、イギリスやフランスは全力で対抗、西部戦線(フランス)、東部戦線(ロシア)、南部戦線(ユーゴ)と総力戦でぶつかりあって手いっぱい、中東方面まで充分に対処できない。中東くんだりまで大艦隊を送る余裕なし。

そのとき頭のうえで豆電球がともった。――中東にいるアラブ人に代わりに戦ってもらえばいいじゃん。どうやって? だから〜、「オスマン政権は悪い、一般のシリア人は苦しんでいる、だから友人である大英帝国は助けてあげるのだ」って口実で〜。という、笑っちゃうワンパターン。日本:オランダ:インドネシアとか、いくらでも置き換えがきく構図。

さっそくイギリス、そっち方面にいる外交官に命じて、アラブ側代表者にメールを送らせた。「トルコってうざいよね?くるしんでるみたいじゃん?反乱、起こす気あるなら応援するよ」「トルコを追い出せば独立国になれるっつーなら考えるが」「OK、OK、約束するよん」という内容のことを、堅苦しい大人の外交言葉でやりとりしたのであった。トルコ領内で反乱が起きてくれれば、敵を内側から崩すことができて、きわめてつごうが良いのである。

これが中東紛争の発端として有名なフサイン・マクマホン書簡。若干の制限は付くもののシリア地方を(今でいうレバノン、シリア、イラク、ヨルダンのあたりをぜんぶまとめて)ひとつの国として独立させる、と。Great Britain is prepared to recognise and support the independence of the Arabs in all the regions「我がイギリス政府は、ご指摘の全地域でのアラブ人の独立を支援し、国家として承認するつもりです」と伝えた。公開処刑事件の5か月後であった。

他方において、ほとんど同時期、イギリスとフランスは悪名高いサイクス・ピコ秘密協定を結ぶ(ほかの連合国も内密に知らされて、承知)。アラブ人をこき使ってまんまとトルコ兵を追い出したら、シリア地方を仲良く半分こしよう、というもの。フランスが上半分(現在のシリア、レバノン)、イギリスが下半分(現在のヨルダン、パレスティナ/イスラエル)、をゲットする約束。いちおう「独立」させるが「委任統治」とか、わけのわからんことを言って実権はかっさらおう、と。

イギリスが下半分をねらったのは、スエズ運河をおさえたかったのであろう。あわよくば、どさくさに紛れてエジプトのスエズ地方もゲットするつもりだったに違いない。実際、イギリスがエジプトで行ったことも、むごい。なにも砂漠をめぐって陣取りゲームを楽しんでたわけでなく、当時はインドもイギリスだった関係上、インドへの道は死活問題だったろうし(農作物などの「イギリス国内」の輸送路)、なにより、ここいらは石油が出る。砂漠もあるが、ティグリスとユーフラテスの恵みでみどり豊かな土地も多い。敵側のトルコを内側から叩けるだけでなく、あとから得られる獲物もでかい。

――おまけにイギリス政府は、バルフォア宣言というのを出してユダヤ人には「パレスティナは、みなさんにあげます。いっしょにユダヤ人の国を作りましょう。だから戦争の資金協力よろしく」などと言っていた。これだけでたらめな二枚舌、三枚舌を使えば、あとでつじつまが合わなくなることは火を見るより明らかだが、世界に広がるユダヤ人ネットの戦争協力があるとないでは差がでかいので、あとは野となれ、つごうのいいこと言いまくり。まあ、何が起こるか見てみましょう……。

エルサレム一帯をめぐって、どっちのものか?と今も紛争が続いてるが、争い方については、アラブ、イスラエルの双方に好ましくない点があるとしても、紛争の発生そのものについては、紛争当事者には責任がない。ダブルブッキングしたイギリスが問題の根元だ。

「奇跡の勝利」

イギリスから「トルコを追い出せば完全独立」の約束を得たアラブの王様(指導者)フサイン、さっそく息子(つまり王子)たちにGOサインを出した。1916年だった。支援を約束したイギリスは、れいのロレンスを派遣。かれは、イギリスが自分たちを裏切ろうとしていることを知ると、本国イギリスを裏切ってアラブにつくが、しかし、アラブの人々に対しても本当のことを告げるに告げられず、二重の裏切り状態でくるしんだ。アラブ軍の奇跡的とも言われる活躍は、ロレンスの頭脳によるところが大きいとされる。

1918年、シリア軍は、王子ファイサルの名のもとにダマスカス(現在はシリアの首都)を陥落させた。ダマスカスの人々(シリア人)は、かっさいしてむかえた。もちろんトルコ兵やトルコ政府の行政官は「これは、やばい」と脱出したり降参。

ファイサル一世

ダマスカスに入城したファイサルは、順次、シリアのほぼ全域を平定、1920年3月8日、シリア議会はシリアの独立を宣言。シリア王「ファイサル一世」の誕生だった。この日は結局、シリアの「独立記念日」にならなかった。

Qoi!(何と!)

ファイサルらは、シリアの再建に着手。自分たちの母語であるアラビア語を公用語として、学校の教科書もトルコ語をやめて、アラビックにした。が、希望の光は、つかのまだった。英仏は約束に反してシリアの独立を拒否、わずか1か月後の1920年4月、連合国(第一次大戦に勝った側)の最高会議で、サイクス・ピコ協定に従ったシリアの分割と、委任統治いにんとうちを一方的に決定。委任統治というと、なんか意味がぼやけるが、要するに「統治」。植民地として支配すること。その植民地統治が、形式的には国際連盟から「委任」を受けて(自分が支配したいからでなく、国際連盟から頼まれたから仕方なく、という大義名分で)というだけだ。依頼主の国際連盟は、実質的に依頼者とイコールなのだから、「領土をぶんどる」を遠回しに言っているにすぎない。

イギリスから独立したての若い国アメリカは、このようにイギリス帝国などの好きにされているシリアに同情的だった。当時のウィルソン大統領は、いわゆる Fourteen Points Speech として、the other nationalities which are now under Turkish rule should be assured [...] an absolutely unmolested opportunity of an autonomous development と訴えていた。「トルコの支配を受けている非トルコ人には、望むなら独立国としてやってゆくという選択肢も与えるべきだ」と。いま読み返すとおかしいかもしれないが、「なんでそんなにアラブに意地悪するんだ! 大国のおごりを捨てて、アラブの自主性を尊重しなさい」とアメリカ大統領は訴えていたのである。ほかにもこの14条の原則は非常に理想主義的であったが、国際連盟は、この意見を無視。アラブばかりか、ヨーロッパでも、勝ったのをいいことに、負けたドイツに過酷なまでの戦争責任や賠償を押しつけていた。今はアメリカの言いなりの国際連合だが、国際連盟の時代は、アメリカ大統領の熱血演説も冷たく無視されていたのであった。祇園精舎ぎおんしょうじゃの鐘の音。

フランス軍は、さっそくダマスカスに侵攻。近代装備のフランス軍にシリア民兵が正面からの正規戦で勝てるわけない。トルコに勝てたのは、ゲリラ戦だったことと、イギリスの支援があったから。今は英仏伊露がつるんでるので、勝ち目がない。フランス軍の言い分、「国際連盟で国際的に話しあって決まったことに従っているだけです」。

首都ダマスカスの西で、シリアはフランス軍の首都侵攻を止めようといちおう抵抗、あっけなく破られた。Maisaloon という村が戦場だった。シリアからみたシリア史では 「マイサルンの戦い」として1ページをさいている。よほどくやしかったのか。おもしろいことに、このあたりの事情は、米政府のあの厖大なカントリースタディーズでは、ぼやけている(Maisaloonなどいちいち名を挙げてない)。エンカルタにいたっては、ひとことも触れていない。

フランスがシリア地方の上半分に入ったように、同時期、イギリスは、下半分の「委任統治」を始めている(今の地名でいうとヨルダン)。他方、ダマスカスにいたファイサル一世、フランス軍の占領(名目は「委任統治」)が始まるので仕方ない、いったんヨーロッパに亡命、それをイギリスがイラクの国王にした。なんともいーかげんな話だが、以下のようなロジックだ。

  1. イギリスは、もともと今のイラク、シリア、ヨルダンあたり一帯(シリア地方)をひとつの国として独立させる約束をして、支援した。
  2. しかし、裏交渉で、この地方の半分はフランスに渡すことにした。
  3. そんなこんなで、この地方は分割されて、異なる国の支配下に。
  4. イギリスとしては、アラブの王様を君主として認める約束は形だけでも果たしたいが、「シリア」はフランスに渡したので、手持ちのカードではイラクかヨルダンの王になってもらうしかない。

まぁ、もともとイラクも含めてひとつの国になる予定だったのだから、イラクの王でもゼロよりはマシか。

トルコとアラブは、同じイスラム文化圏で、曲がりなりにも相性は合う。ヨーロッパの支配を受けるのは、オスマン・トルコ支配の時代よりつらいものだった。学校ではフランス語を強制。あなたの教室にフランス軍がやってきてフランス国歌「ラ・マルセイエーズ」を歌わせる――Quoi! des cohortes étrangères Feraient la loi dans nos foyers!「なんたること!外国の軍隊がやってきて、我が国の法を勝手に曲げてしまうではないか」という歌詞の歌をフランスの強制で歌うのだ……皮肉としか言いようがない。まさに Quoi! だ。経済は「フラン」中心に移行、フランスの資産家に支配された。そして、もちろん政治はフランスの好き勝手に……。独立のための戦いだと思っていたらこの結末、勝利の結果が「事態の悪化」なのだから、ロレンスが一生、罪悪感にくるしんだというのも無理ない。シリアの人々の生活は、ほとんどあらゆる面において、フランスの支配下に入った。

おまけに、この分割されたシリア地方の「シリア」を、フランスは、さらに切り刻んだ。強まる反フランス感情に対して、「困難は分割せよ」というご先祖様のいましめに従って、レバノンをべつの国として「独立」させた――もちろん実質は、フランス植民地。こうすることで、フランス支配に反対する勢力を分散、混乱させられるし、万一「シリア」がホントに独立しちゃっても、切り分けておいた小国レバノンは自分のものとして残る。さらにまた、フランスは、地元の意向とかかわりなく、自分たちのつごうで、一方的にシリアの一部をトルコに割譲した。今のイスケンデルン(トルコ領)、当時の地名ではアレクサンドレッタ。委任統治自体、シリアにとっては苦痛だが、このような勝手な領土の変更は、委任統治に関する国際連盟の規約にすら反している。

ヨーロッパにまかせると何されるか分からない、というアラブの警戒感は、思想でも宗教でも文化の違いでもなく、厳然たる歴史的経験である。

「トルコってうざいよね?くるしんでるみたいじゃん?反乱、起こす気あるなら応援するよ」「トルコを追い出せば独立国になれるっつーなら考えるが」「OK、OK、約束するよん」――で始まった話が、気がつくと、こんなぐあいになってたという。(つづく)

おすすめリンク

参考

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[sy] シリアの人も知ってたニホン

2001年11月 9日
記事ID d11109_4

オマケ

Yahoo! Clubs の Syrian's Teen Club のカキコをROMってたら、なにげに like china and japan , india... 17歳のシリア人。ちょっと読んでみますか?

hi shameto <talal>
it is the first time I send a message to you , anyway about your questions hear this :
the american will not use the nuclair , they are not that stupid because as u know 1- if they used then in any arab country their is israel and it will effect here people , so they will not use it on the middeleast , 2- if they used it agaisnt Bakestan or efganestan there is many country that hate amirica will be effected <like china and japan , india...> , 3- don't forgot that even Bakestan and india have nuclair too , in my opinion , I don't think that america will change here policy too much <I hope so>
but the question is who did it ??? I don't think it is Benladin because imagin someone on the mounten , sleeping in a net , have one or tow wepen can make some people drive airplanes and blow out these tow tower .
if america want to reply I hope that she don't use it is forces because there will be a world war 3 <america aginst 3/4 from the world>
I hope that it will end peacefully ....

Mohamad

>シャメト・タラルさん
ここにカキコするのは初めてですが。ともかく疑問の答は、こうだ。
アメリカ人は核を使わない。そこまでバカじゃないよ。だってほら、1アラブで核兵器を使ったらイスラエル人にも被害がおよぶ。2もしパキスタンやアフガニスタンに対して使ったら、アメリカを嫌いになる国がいっぱいある(中国とか日本、インド)。3それにパキスタンやインドだって核を持ってることを忘れちゃいけないよ。だからそんなにアメリカも急にすごいことしないと思うけど?(そう願う)
でも分からないのは、誰がやったか???ビンラディンとは思えない。山奥でハンモックで寝てるような人でしょ?もしアメリカが対応したいなら、武力はやめてほしい。だって第三次世界大戦になっちゃうよ(アメリカ対、世界の4分の3)平和に解決してほしいなあ... モハメッド

thank u mohamed for being interstsed........1st of all........i did not say that the us is going to use the atomic weapons..i said this kind of attack cant be stopped by the military force and atomic weapons..2nd if they wanna use an attomic weapons against any chosen country they will be able to make a great harm to the chosen zone without harming the other,,there r many atomic wapons with dimished power (like the atomic missile aganist the tank )so if any country involved in this big attack.,..it will be errased from the map...coz the american pool and the news paper and the media in the usa asking the goverment to use the military forces brutly to deaden thise state of lose of confidenty that happened to the ppl and the goverment.....

モハメッドさん、レスありがとう。んー、まず第一に……アメリカが核兵器を使うとは言ってないよ。こういう攻撃は軍事力や核兵器では止めれないって言ったんだ。それと、もし核兵器を使う気なら、目標だけ叩いてまわりには被害が及ばないようにできるよ。対戦車ミサイルのような、それほど強力じゃない核兵器がいろいろあるからね。もしやられたら、その国は地図から消えてしまうな……だって、アメリカ人、アメリカの新聞やテレビは、政府に武力行使を求めてるから。アメリカ人と政府のめんぼくがつぶれたのを、何とかするために。

Quoted from Msg 1204 and 1206, with translation.

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